2017/6/29-

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軸をぶれずに生きるとき、例えば今キリストに対して感じてるように、何かに反発することが役に立つ。それは決して見下してるだなんて一言で言ってはいけないもの。比較しているのみ。

 

狭い視野にとらわれて悩んでる時は考えもつかない。ある日いきなり思いつかなかった何かが起こっていっぺんに視野が広がる。初めて、あるいは久しぶりにある種の恥ずかしい感覚にとらわれるだろう

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他人に任せた方が、自然に任せて享受した方が、楽に幸せになれると錯覚しやすい。でもやっぱり思う。自分で決めることのできるときの方が意外と余裕があって、Mなのもあるせいかチョットのストレスが逆に心地よいと言ったら変だけれど、とりあえず自分で状況をコントロールできる(と信じ込む)方が楽にいきられるというのは心理学でもきっと証明されていることだろう。

 

坂倉ちゃんの洞窟の話と中本ちゃんの犬の電気ショックの実験、今後役に立ちそう

7/3

自分を大事にしようと思っても世界がどうしてもそうさせてくれない。諦めた方がいいかもしれない。そうでなくても人間はチリである。ただのチリだから何感じても感じてないようなものである。仕事をして誤魔化すんです。頭がいいから希望を見出せるのです。

7/4

楽な時は軽い

しんどい時は、その名の通り「重い」

この世の人間全てが質量もあり密度も高い重い存在で、大事なのだと錯覚してしまう。

違うのだ。チリなのだ。言い訳でなくほんとに。

7/14

自分が主人公であることは、自分がよく分かってるから、別に主人公ぶる必要なんてない。

 

7/27

試験中ずっと憂鬱だった編曲が、試験が終わって急にどうにかなりそうな気がして来た。試験中私は自分でも無自覚のうちにきっと負の連鎖にかかっていたのだと思う。気をつけましょう

 

7/31 1:05

20歳の誕生日今まで死にたくない日なんてたった1カ月あったかなかったかかな

もう無理だっておもった日もたくさんあって、私は特に人を必要とせず、人に必要にされない人だったから本当に生きる意味はあるのかって、生きる意味はなんだろうって今でもずっと思ってる

19年間ずっと生きてきて、全然良くなかった。生まれて来なければよかった。お母さんお父さんに感謝できない。ごめんねこんな子で、私はきっと生まれちゃいけない子だったんだろう、感謝なんてできない

でもねなんでか生きてきた

誕生日は自殺率が1、5倍になるらしいよ

今これを号泣しながら打ってるけど、バカだなって笑ってくれたら嬉しいな

 

--追記

「人間はチリ」の言葉がここらへんで定着してきた。

「楽しいとき」「悲しいとき」の差を埋めること、互いの気持ちを冷静に見ることを目的としたこの日記、まだ気持ちの上下が見られる。今なら言える、完全に躁鬱だった。

感情の起伏はなくなった、完全に自分にとらわれることをやめた(気がする)今、凝り固まった常識に絡められたくなくて、知識に引っ張られたくなくてもう人間に戻ることを恐れた今、客観がないことを知った上で客観的に見ようと思った今、だから「唯生きる」を恐れない今、「ただ死ぬ」を恐れないいま、でも性別を追って大人になれなくなったいま、若者を見てる気持ち、でも、大人を見てる気持ち。

29日のやつのコメント見て、ハッとした。

偉そうに人に言うのはもうやめよ。