2018年 1月~3月

1/16

責任感は、自意識過剰

目の前のことは気楽に(5感でそうしなきゃな状況なら自然とそうなるし、それまでに疲れを貯めるとダメだし、相手に合わせないと自分で突っ走る人だし、素の自分に自信ある人とだけ付き合えばいいし、緊張感相手に伝わると相手が制限される)

先のことは緊張感持って(何年後か先のことはちゃんと考えておかないと、常に不安になっちゃうし、ほんとにただ適当に生きてるだけの人になる

私の強みは切り替え力。変わる力

 

1/24

「今日はやばい」「うまくいかない」と思っても、人より大丈夫。そんな時は人の雰囲気に任せてれば大丈夫。

前沈んじゃった時も、今思えばちょっと変だけど、そんな大丈夫じゃなくなかった。

やばいと思っても、未来の私が変えてくれる。最終評価がよければ過程も、美しくなるから。

 

1/25

思い出した、悲劇のヒロインを毛嫌いしてたこと

明るく強い人に憧れてたこと

自分が好きな自分といれば、多少無理してても楽しいんだって

 

2/14

今日はSとカラオケオール楽しみ

13日、夕方に父のタンスの整理をした

それまでは、9月からのガン判明から、塾のこと、就活のことなんて忘れてた

まあなんとかなるっしょって、終わった恋のことを考えながら、結婚だけする気でいた

高校の「急いで転んだお前が悪い」から絶対一言も口聞かない!って思ってからほんとに嫌いで、特に受験期は咳がうるさくて死ねっていつも思ってて、部屋に入るのさえ嫌がった私にとって、パパいなくなるのはほんとに複雑な気持ち。もう何年も触れてない。部屋開くって考えたら嬉しくすらあるあるしね。

末期って言われても、1月まではピンピンしてた。そのうちご飯が食べれなくなって、吐くようになって、だんだん衰弱していった。

まずい、と思いつつ、まあ何とかなるっしょって思ってた。人生に関しても、まあ何とかなるっしょって思って、日々遊んでばかりでいて、全然暇なんてない。寂しくて人といて、成長しないことばっか、でも確実に成長してる感じもする。

2月入って急に就活と被ってほんと今パニック。人生で一番パニックだと思う。

ちょうどサークル雑誌で作業用BGMの記事書いてる時で、感動BGMつけながらやった

ぱぱは自分がもう家に帰ってこないのわかってるみたいで、今まで開かなかったあの机の上の段が開いた。その中には、私がパパに書いた手紙全部あった。通帳とハンコがセットで置いてあった。ママと整理してたけど、ママは涙ぐんでて、BGM効果もあって私も泣きそうで、トイレ行って泣こうかなって思ったけど我慢した。その時だけは、パパの全部が愛おしかった。いやそれはちょっと盛ったけど、隣にある服も、パソコンの上にある食べかけのナッツ?も、触れる気がした

電話したら喋れなかったみたいで、ほんと心配

死んだ後は全然今と心境変わってるだろうから、今の気持ちをメモりました。

「まあ何とかなるっしょ」軽い気持ちから抜け出せない。多分この逃避は本能だと思う

いつ病院行こうかよりも、就活のSPIどうしようとか、ライン返そうとか、どうしてもそっちに意識が向く

それでも不安をかんじないのは、私の人間レベルが上がったからなのか、あんま仲良い記憶がないからなのか

 

3/6

やっぱ「広く普遍的」

「偏らない思考」

これには犠牲もいっぱいある。

動物離れするとか

頭使うとか

でもこれやると圧倒的に不安が減る

世の中が良く見えると、固執することがなくなる

何に足を引っ張られちゃダメなのか、何に着いていけばいいのか良く見える

ネジじゃなくて、様々な業界見れるって

そういう会社につけば、いっぱい視野広がる

一人じゃ絶対出来なかったこと

私がなりたかった自分に近づけるチャンス

 

2019年12月30日追記ーーーーー

パパの命日でした。

「まだ大丈夫っしょ」が通じないこと。

そんなに嫌なことでも、当日は意外と平気なこと。

どうしてメモなんか残せたの?

悲しい記憶しかないのに、前向きな発言をしていてびっくり。

動物チックに、でも人間チックに。

自分が幸せでいること、みんなが幸せでいること、言葉じゃもうこれ以上表せないけどそれが一番だから。