2016/9/22

今、中国の山に行く途中の車の中だけど、何も考えてない、自由で、気温もちょうどいいし、時間割も昨日いい感じに決まったし、25日みんなと会うの楽しみだし、まあ強いて言えば帰国したあとのラインの返しと足の捻挫と残りの単位が気がかりだけど、幸せすぎて、生きててよかった。もう死んでもいいかもしれない。もちろん、今わかってる、人生は長いから、たった1ヶ月の幸せに慣れて、人生幸せだとか思わない。同じように、苦しいときがあっても、ずっと苦しいとか思わないで、19のくせにバカげてる、おこがましい。これは、ずっと幸せになれないとおもいたくないための言い訳では決してない。

あと、ニュートラルで普遍的になりたいのは、別に思いつきの夢じゃない。