このブログの意味

 楽しいときの気持ちは、楽しいときにしか分からない。苦しいときの気持ちは、苦しいときにしか理解できない。気分がいいときにひどいことを言われても、叩かれても、全く気にならない。そんなことすぐ忘れ、考えるのをやめる。でもへこんでるとき、「こんな気持自分だけなんじゃないか」「もうずっとこのままなんじゃないか」「私はいないほうがいいんじゃないか」と、有りもしない妄想に取りつかれ、他の道が見えなくなる。電車の中で大声で笑う集団を見て、楽しそうだ、と笑顔になるか、なんだあいつら、と眉間にしわを寄せるか、もしかして笑われてるんじゃないか、と怯えるか。

 人が見る世界は、その人の頭のなかで再構築されたものである。いかに不幸そうに他人に写っても、自分の中で再構築された世界が幸せなら幸せなのである。幸せ、というか感情のすべては、所詮、人の脳内に流れる電流に過ぎない。自分自身の他に、誰がこの電流を流せるだろうか。

 しかし苦しいとき、悲しいとき、辛いときに立ち直るのは難しい。今は苦しくも悲しくもつらくもないからわからない。けど、たしかに幸せが見えなくなる。再構築された世界の色はワントーン暗く、視界も狭く、幸せの色は目立たず不幸ばかりが目に見えて止まらない。あぁ、どうしよう、でも考えなきゃ、向き合わなきゃ、と思うほどに難しくなる。

 そんなときに無事にたちなおるために、このブログを書こうとおもう。自分自身の再構築された世界が暗くなったとき、せまくなったとき、一筋の光のおかげで立ち直れるように・・・・・・・。その光の役割を、このブログに託そうと思う。