何かに飽きたという時、それは、そのものに飽きたというより、そのものに無限の可能性を見出せなくなったという絶望、それに気づいた、ということだ。
そのものがもつ新たな可能性に気づくようアクションをとるか、自分で作り出せばいい。
よくミステリアスがいい、という人がいる。それは無限の可能性に過度に期待したいがためで、期待に応えられないと知れば、どうなるかはわからない。
2017/12/14
追記
これを書こうと思った時の、場面だけは他の日記よりもよく覚えている
家の近くで自転車を漕いでいた
受験時代支えだったMMD動画に飽きて、思いついたものだった